【日本ラクロスの四半世紀・第5回】 1989年・第1回国際親善試合、開催

2012/03/14

 1989年(平成元年)
2月 日本学生ラクロス連盟事務所を開設(東京・渋谷区カレッジミュージアム)
当初は、国際親善試合実施本部として開設し、後に連盟事務所として活用するようになった。
3月 第1回ボブ・スコット杯(関東学生春季トーナメント戦)を開催。
前年に開催されたラクロスフェスティバルをもとに、各チームの試合の場を増やすために実施され、男子は慶應義塾大学、女子は青山学院大学が優勝した。
男女学生が、第2回ラクロス視察のため渡米(メリーランド州、慶應義塾大・早稲田大・白百合女子大等)
米・ジョンズホプキンス大学に日本人ラクロス選手が留学。
この時、日本ラクロス協会奨学金基金も設立する。

6月
第1回ラクロス国際親善試合を開催(17日、東京・駒沢オリンピック公園陸上競技場)
本戦は男子戦1試合のみで、「ジョンズホプキンス大学 対 オーストラリア代表」の試合を実施。
エキシビションマッチとして、男女の「日本選抜 対 セントポール高」の試合を実施した。
日本選抜は、男子は3-11、女子は2-9で、セントポール高に敗れた。
国際親善試合の前日には、日本選抜にとって初となる海外のナショナルチームとの試合を実施。
 (16日、東京・駒沢オリンピック公園第2球技場、男子戦・練習試合)
男子日本選抜はオーストラリア代表と対戦し、日本選抜は0-56で敗れた。
国際親善試合では、ILF(国際ラクロス連盟)公認国際審判員であるジョン・ハリス氏が来日し、男子競技の審判員を務めた。
ハリス氏は以後も度々来日し、日本の審判技術だけでなく、強化面においても数々の提言を頂いた。
ラクロス国際親善宇都宮大会を開催(18日、栃木・平出サッカー場)
協会発足後、初の社会人チーム「富士重工宇都宮(クレイドルズ)」が結成されたこともあり、宇都宮市においてエキシビションマッチやラクロス教室を実施した。
7月 女子ラクロス国際連盟(IFWLA)に加盟
9月 第1回女子ラクロス新人戦トーナメント[関東]を開催(2日~5日)
ラクロスの急速な広がりもあり、まだリーグ戦に出場できない新規校はすでに20校に上っていた。それらの新規校や新入部員にも試合という大きな目標を持ってもらうことを目的としてこの大会が設けられた。
この後、ラクロスの更なる広がりとともに、「新人戦」は1年生対象の大会へと形を変え、全国各地で開催されるようになっていく。
12月 日本で初めてのラクロス情報機関誌「ラクロス・ニュース」を創刊。
全てのラクロス選手が同じ情報を知ることを目的として創刊された。

 第1回国際親善試合
国際親善試合は、世界トップレベルのラクロスを、直接見て、肌で感じることができる貴重な場となった。
第1回国際親善試合ポスター第1回国際親善試合
[左:大会ポスター / 右:ジョンズホプキンス大学 対 オーストラリア代表]

日本選抜女子エキシビションマッチ
[左:日本選抜の選手たち / 右:日本選抜 対 セントポール高]
男子エキシビションマッチ初の海外ナショナルチームとの試合
[左:日本選抜 対 セントポール高 / 右:日本選抜 対 オーストラリア代表]

また、国際親善試合は、単に「海外のプレーを目にする場」としてだけではなく、「日本ラクロス協会の設立主旨でもある『Lacrosse makes Friends』を実現する場」として開催された。
試合後フェアウェルパーティー
[左:試合後に健闘を讃えあう選手たち / 右:フェアウェルパーティーで更なる友好を育む]

ジョン・ハリス氏ジョン・ハリス氏
[左:ILF公認国際審判員ジョン・ハリス氏 / 右:日本の審判員に技術を伝えるハリス氏]

国際親善試合は、選手たち一人一人が、観客であると同時に大会スタッフでもあった。
この経験が、ラクロスを楽しむ場を作るために、選手たちが自主的に動き、チームを越えてお互いに協力し合うという、日本ラクロスの文化へと繋がっていった。
大会準備試合運営
[左右:自らの手で大会の準備を進める学生スタッフたち]

大会スタッフ学生連盟事務所
[左:選手も試合以外の時はスタッフとして動いていた / 右:多くのスタッフが連日集まった連盟事務所]

 自分たちの環境は常に自分たちで整える
日本のラクロスがスタートして4年が経ち、国際親善試合という今に続く大きな大会も始まったが、ラクロスを楽しむ環境は、まだまだ不十分なものであった。
「もっとラクロスを楽しむためにはどうすれば良いか」
この問いに対する答えは、選手たちの「自分達の環境は常に自分達で整える」という意志であった。

国際親善試合の結果にも表れているように、日本のラクロスレベルは、まだまだ多くの課題があった。
アメリカキャンプには、前年に引続き多くの選手が参加し、積極的にラクロス技術の習熟に努める姿が見られた。
ドン・ジマーマンキャンプ1ヒルトップキャンプ
ドン・ジマーマンキャンプ2ヒルトップキャンプ2
[左(上下):ドン・ジマーマンキャンプ(男子) / 右(上下):ヒルトップキャンプ(女子)]

ラクロスが広まっていく中で、「『何をすべきか』を一人一人が把握すること」は、今も昔も変わらぬ重要な課題である。
機関誌第1号には、この年のリーグ戦期間中に急逝された延滋男理事長(*当時)の、創刊に対する寄稿が掲載されている。

「日本のラクロスの発展の為には数々の要点を解決して行く事だろう。
その中で、今我々は何をして、何をしようとしているのか、またそのスケジュールを学生諸君が同じ情報の下に知る事が出来るというのは素晴らしい。
そして、それをもとにして、意見の交換を行い一歩一歩基礎作りをして行って欲しい」
ラクロス・ニュース連盟事務所
[左:ラクロス・ニュース創刊号(表紙) / 右:多くの選手・スタッフが議論を交わした連盟事務所]

試合の場を増やし、新しいプレーヤーにもラクロスを楽しんでもらうために、新規大会の設立や見直しは積極的に行われた。
前年度に行われたラクロスフェスティバルは、ボブ・スコット杯という大会に衣替えして開催された。
女子ラクロス新人戦トーナメント[関東]では、最も優秀な成績をおさめた新規校チームに学生リーグ戦への参加資格が与えられた。
また、全日本選手権大会や全国地区対抗戦などで、全国の選手たちが集まり、熱い戦いを繰り広げた江戸川区臨海球技場が公式戦で使用されたのもこの年からである。
ボブ・スコット杯女子新人戦
[左:ボブ・スコット杯大会プログラム / 右:学生リーグ戦パンフレットに記載された女子新人戦の概要]

臨海球技場での公式戦1臨海球技場での公式戦2
[左右:この年以降、多くの激闘がこの臨海球技場で繰り広げられた]

 大会結果
国際試合 来日チーム(男子) 来日チーム(女子)
第1回ラクロス国際親善試合 THE JOHNS HOPKINS UNIVERSITY
ALL AUSTRALIA
St.Paul's SCHOOL
St.Paul's SCHOOL
大会 優勝(男子) 優勝(女子)
第2回学生ラクロスリーグ戦
(現:関東学生ラクロスリーグ戦)
慶應義塾大学 東京女子体育大学

■ 『第6回 1990年・第1回全日本選手権大会、開催』 へ続く

『Japan Lacrosse History ~日本ラクロスの四半世紀~』 記事一覧に戻る





2012全国大会